歴史 -History-

キャバリア・キング・チャールズ・スパニエルは小型のスパニエル系と、狆やチベタン・スパニエルなどの東洋犬を掛け合わせた結果誕生したと考えられています。このようなイギリスのチューダー王朝時代のスパニエルは「コンフォーター・スパニエル(癒しのスパニエル)」とも呼ばれ、飼い主の膝や足を温めたりして、湯たんぽの代わりのようになったりもしていました。さらに、ノミを引きつけることによって、飼い主をノミから守る役目も果たしていたといいます。こうしてこの小型のスパニエルは家族の誰からも愛され、大変人気のある犬種となっていきました。

18世紀には、チャールズII世がこの犬種にあまりにも夢中になり、国務を疎かにして糾弾されたという一幕もありました。チャールズII世とこのスパニエルたちの関わりは深く、後には彼の名前を取って「キング・チャールズ・スパニエル」と命名され、広く知られるようになりました。チャールズII世の死後はマルボロ公爵が彼に代わってキング・チャールズ・スパニエルの最大の支持者となります。公爵がもっとも気に入っていた白地に赤毛斑の種は、マルボロ公爵の領地の名である「ブレインハム」という毛色で呼ばれることになりました。

この犬種は何世代にも渡って裕福な人々に飼われていましたが、時代と共に短めの鼻を持つスパニエルが徐々に好まれるようになっていきます。その結果、20世紀前半には、尖った鼻を持つ初期のスパニエルは、短めの鼻を持つ当時のスパニエルより評価が低くなるという状況になっていました。しかし、裕福なアメリカ人、ロズウェル・エルドリッジがイギリスを訪問した際に、尖った鼻を持つ初期のキャバリア・キング・チャールズ・スパニエルに巨額の賞金をつけたことによって、この犬種の運命は大きく変わることになります。

繁殖家たちは、最初はただ賞金を獲得するために、尖った鼻を持つ初期のスパニエルに戻そうと躍起になっていましたが、そのうちにだんだん初期のスパニエルのよさを再認識するようになりました。そして尖った鼻を持ったスパニエルは、最終的に「キャバリア・キング・チャールズ・スパニエル」と名づけられ、イギリスでもっとも人気のある犬種となりました。

アメリカではこの犬種の飼い主たちが、人気に伴って生じるさまざまな問題を心配し、AKCの認定に反対していたため、1996年になってようやく認定されることになりました。今後の人気を見守りたいところです。マロン看板用


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