日本でのコーヒー文化の先駆けは、「パンの会」(コーヒー愛好家の会)です。森鴎外が指導して1909年(明治42年)に創刊された文芸雑誌『スバル』のメンバーである北原白秋、石川啄木、高村光太郎、佐藤春夫、永井荷風などが日本橋小網町の「メイゾン鴻の巣」を利用して毎月会合をもっていたのです。

その店は本格的なフランス料理と洋酒を飲ませ、コーヒーも本格的なフランス式の深煎りコーヒーを出していました。メイゾン鴻の巣はさながら文士の社交場だったのです。

明治時代から大正時代にかけて、このような文化サロンの役割を果たすカフェがいくつかできて、日本にもやっとカフェ文化の風が入ってきました。 しかし、いずれもまだまだ一般の人には敷居の高い店ばかりでした。

そんなところに出来た、『カフェ パウリスタ』は、最初こそ文士や文学青年たちの社交場でしたが、一般の人達が気軽に立ち寄れる値段と雰囲気で、あっという間に大繁盛して、大正時代の最盛期には全国に20余りの支店を数えるほどになりました。では、なぜそれほどパウリスタは一般の人々に人気を呼んだのでしょうか。

それは、高級西洋料理店プランタンのコーヒーが当時15銭だった時に、パリやニューヨークのカフェを模しながら、しかもコーヒーの普及とサービスに徹したパウリスタでは、5銭で飲むことが出来たのです。

三分の一の値段で本格的な香り高いブラジルコーヒーを味わうことが出来たので、全国に散らばったパウリスタの店で始めてコーヒーの味を知った日本人の数は数え切れません。パウリスタはコーヒーの大衆化に拍車をかけた店として大きな足跡を残しました。

そして大正時代には確実にコーヒー愛好家が増え、昭和に入ってますます需要を伸ばしますが、第二次世界大戦でコーヒーは『敵国飲料』として輸入停止になります。日本人の生活から一時期コーヒーは姿を消してしまいます。

その後、戦後では昭和25年から輸入が始まり、珈琲は「平和の使者」とばかりに、人々を感激させました。

現在の日本では様々な形でコーヒーが飲まれています。喫茶店と家庭、レギュラーコーヒーとインスタントコーヒー、ホームコーヒーとオフィスコーヒーサービス、各種の缶コーヒー、そしてグルメコーヒー、フレーバーコーヒーという具合です。

近年ではグルメ指向の人も増えてきたおり、よりおいしい本格的なものを求めるコーヒーマニアが増えてきています。


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