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その後、コーヒーは世界を駆け巡ります。各地のコーヒーの特色を紹介しつつ、そのルーツにスポットを当ててみましょう。
「ターキッシュ」、つまりトルコのコーヒーです。コーヒーにはアラビア起源説もあり、アラビアからヨーロッパへ広まる中継地点として16世紀中頃、トルコに流入。首都イスタンブールにはコーヒーショップ「カーヴェハーネ」も登場し、貴族や僧侶の飲み物から、一般大衆の飲み物として広がりをみせました。 ターキッシュコーヒーは「煮出す」コーヒーです。粉を水に溶いて砂糖を入れてからトロ火で熱し、泡が立てばできあがり。一般的なコーヒーに比べると、濃厚な味を楽しめます。このコーヒーをいかに美味しく作れるかが、「良い花嫁」の条件であるとか。また、お見合いの返事も「OK」なら砂糖を入れた美味しいトルココーヒーを見合い相手に出し、お断りする場合は砂糖の代わりに塩を入れるんだとか。断られた上に塩辛い・・・トルコの男性にはちょっと同情しますね。 ちなみに、コーヒーを飲み終えてからソーサーをカップの上に置き、ソーサーとカップを押さえながらクルリと逆さまに。カップが冷めたら元通りに戻すと、沈殿していたコーヒーのかすがカップの内側に模様を描いています。これで運勢を占う「コーヒー占い」もトルコでは日常的に見られる風景。「お茶の時間を楽しむ」コツを知っている人達だなぁと思います。
しかし以前はアメリカも「紅茶」文化でした。これが一転した契機といわれているのが、1773年に起きたボストン茶会事件。東インド会社による紅茶貿易の独占、さらに重い関税をかけて値が高騰したことに憤慨した人々は、ボストン湾に停泊していた船を襲撃して紅茶の入った箱を海に投げ出しました。これが火種のひとつとなって、やがてアメリカは独立を志すようになったといわれています。縁の切れ目が紅茶の切れ目、ひいてはそれがコーヒーの台頭につながったといえるでしょう。
宗谷岬には探検家、間宮林蔵の像や「日本最北端の地の碑」があることで知られていますが、意外と知られていないのが「津軽藩兵詰合の記念碑」。この記念碑は、大きなコーヒー豆をかたどっているんです。江戸時代、北方警護のために幕府は東北の藩士達を宗谷の地に派遣。極寒の地で過ごす藩士の養生のため、当時は物珍しかったコーヒー豆を配給しました。それでもあえなく、この地で多くの藩士が命を落とし、彼らを供養する意味でコーヒー豆の記念碑が建てられたのです。 |