コーヒー栽培に適した地域(赤道をはさんで南北25度の地域)をコーヒーベルトと呼びます。

日本はこのベルト地帯には入っていないので、栽培に適した地域ではありません。しかし、実は明治時代に国産コーヒーを作ろうという試みが実行されていたのです。

明治11年10月16日発行の新聞には、10名の農夫、頭取世話役1名、農具、それにコーヒーの苗木を積んで小笠原島へ向けて船を出す旨が記事になっています。

現地に官舎を建ててまで取り組んだコーヒー移植は、さらに明治17年4月29日の新聞で、明治15年には12キロほどのコーヒーが収穫できたことが記載され、順調に生育していたことが伺えます。

しかし、その後、移植した6種類のうち4種類が枯れ、1種は育っても結実せず、1種は風害に弱いことなどが判明しました。また採算と言う点においてはサトウキビにかなわないこともわかり、当時の小笠原島へのコーヒー移植は失敗に終ってしまいました。

しかし、現在ではコーヒー栽培に取り組んでいる農家も少しずつ増えてきて、少量ながらもコーヒーの収穫に成功しています。


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