大航海時代をむかえ、コーヒーはイスラム世界を飛び出し、有力な交易品として、南アジア、東南アジアに伝わり、ヨーロッパに上陸しました。
しかし、人々の間では「コーヒーは異端者の飲みものであるから、キリスト教徒は飲むべきではない」というような話が蔓延しました。
そんな時、キリスト教徒にコーヒーの飲用を許可したのが、法王クレメンス8世です。
コーヒーを試飲した法王は、「悪魔の飲みものだというのに、コーヒーがかくも美味であるのはどうしたことか。
むしろ異教徒に独占させておくのはもったいない。
余はこれに洗礼を施し、キリスト教徒の飲料たる資格を与えよう」と答えたといいます。
なんと粋なはからいでしょう。こうしてコーヒーは市民権を得ることになったようです。※1
またヨーロッパ各国の医師たちの活動も見逃すことはできません。
エジプト、トルコを旅行していたドイツ人医師ラフォルトは、シリアで初めてコーヒーに出会いました。
帰国後の1582年に「シリア人はよい飲みものを持っていて、非常に広く飲まれ、彼らはそれを“カヴェー”と呼んでいる」と、『シリア旅行記』の中で紹介しています。
また、英国人医師で、血液循環の発見者であり、ジェームス1世とチャールズ2世の侍医でもあったウィリアム・ハーヴィーもコーヒーの啓発者のひとりでした。彼らロイヤル・ソサエティ所属の秀才たちは研究を重ね、コーヒーは活力を出し、かつ頭をすっきりさせ、何よりも胃に良い健康促進剤であるとしてコーヒーを賞賛し、普及させていったようです。
またフランスでは、カフェ・オ・レが広く家庭で飲まれました。
これは1685年、名医シュール・モナンがコーヒーにミルクを混ぜ、医療に用いたことがそのきっかけだったといいます。
コーヒーは、薬としての効用を大きな武器に、医師たちから強い支持を得て広く普及してきました。
しかし、もちろん、コーヒーが大変な勢いで広まっていったのは、深い味わいと独特な香りが人々の心をとらえて離さなかったからに違いありません。