長崎出島といえば、ヴェルツブルグ大学で医学を修め、1823(文政6)年に長崎出島の商館医師として赴任したシーボルトです。
彼は、仕事のかたわら日本の自然と文化を研究し、『日本動物誌』や『日本植物誌』を著しました。
そんな日本の生活の中で、シーボルトは日本がオランダと200年も交易があるにもかかわらず、コーヒーが広まっていないことに疑問を抱いていました。
そこでコーヒーの普及計画を、当時のアジアの交易の中心であった 「東インド会社」に提言しています。
医者であるシーボルトの考えは次のようなものでした。
「コーヒーは生命をのばす良薬で、特に日本のような国こそ、保健薬としてこれを用うべし、と勧めることである」。
このように日本ではコーヒーが伝わった当初から、多くの蘭学者や医師たちが健康に寄与する飲料としてコーヒーの文献研究とその普及に関わっていました。