マロンズコーヒーブログ

アラビアの医師ラーゼスが900年頃に初めてコーヒーについて記述したのが、

文字によるコーヒーの記録の最初と言われています。

彼は、コーヒーの薬理効果について、実際に、野生のコーヒーの種子(バン)の黄褐色の煮出し汁(カム)を「バンカム」と名付け、患者に飲ませていたそうです。

彼の記した文献には、“コーヒーには消化や強心、利尿の効果がある”という詳細な臨床結果が残されていて、これはコーヒーに関する最も貴重な初期の文献といわれています。
このラーゼスの後、イスラム教徒の医師アヴィセンナ(980〜1037)によっても同様の記述がなされています。
「熱さ口当たりよさ第一級なり。

人によりてはその興ざましなること第一級。身体各部を強化し、皮膚を清めて湿りを取り去り、香りを生む」とコーヒーの医学的な効能が表わされています。

コーヒーの記録は、こうして医師たちの手によって残されてきたのですが、そのために後世においても、コーヒーは単なる飲み物にとどまらず、薬としても考えられるようになったのです。

今日は、クリスマスイブ!!

ピザやチキン、ケーキを買ってクリスマス会をされる方がいらっしゃいますよね!

 

コーヒー屋さんも、この時期某ス〇ーバックス等々がクリスマスブレンドを

販売します。

こういう珈琲のブレンドは、深煎りのものが多いです。

理由は、脂っぽい料理や甘いケーキを食べるので、深煎りで酸味の少ない

珈琲が好まれるからです。

 

ということは・・・・

当店MarronsCoffeeは深煎りで酸味が少なく、年中クリスマスブレンドです。

 特に、マンデリンはお勧めですよ!

インドネシア ムンテ・ドライミル ドロッサングール200g 送料込み¥1,200-

新マンデリン1-2

1826年、長崎県の出島に医師として詰めいたシーボルトは『薬品応手録』にコーヒーの飲用をすすめた一文を載せました。

シーボルトはこう言ったそうです。

日本人は暖かい飲み物だけを飲み、交際的な会合生活を好むにもかかわらず、また200年以上も世界の珈琲商人(オランダ人)と交易しながら珈琲がまだ日本人の飲み物となっていないことは実に驚くべきことである。

日本人は我々と会合するときは好んで珈琲を飲む

彼は200年以上もオランダ人と交流のある日本人が、いまだにコーヒーを飲む習慣がないのに驚いて、コーヒーは長寿をもたらす良薬として大いに宣伝しました。

ボストン茶会事件で海に茶を投げ捨てられる。以降、コーヒーがアメリカの常用飲料となる。

北アメリカには、17世紀後半にコーヒー、ココア、紅茶が伝わりましたが、イギリスの紅茶の飲用習慣をそのまま引き継いで、当時は紅茶の方が普及していました。ところが、イギリスが、コーヒー貿易の競争でオランダやフランスに敗北し、紅茶貿易に切り換えたことにより情勢が変わりました。イギリスは「茶条令」の発布によって輸入紅茶を独占した上で、価格をつりあげ、重い税金をかけたのです。これに怒ったアメリカの人々は、ボストンに停泊していたイギリスの東インド会社の船を襲い、積み込んであった紅茶をすべて海中に投げ捨ててしまいました。これが1773年に起こった「ボストン茶会事件」です。
この事件を機にアメリカはイギリスからの独立の気運を募らせたとともに、紅茶よりもコーヒーを好むようになっていったのです。

コーヒー栽培に適した地域(赤道をはさんで南北25度の地域)をコーヒーベルトと呼びます。

日本はこのベルト地帯には入っていないので、栽培に適した地域ではありません。しかし、実は明治時代に国産コーヒーを作ろうという試みが実行されていたのです。

明治11年10月16日発行の新聞には、10名の農夫、頭取世話役1名、農具、それにコーヒーの苗木を積んで小笠原島へ向けて船を出す旨が記事になっています。

現地に官舎を建ててまで取り組んだコーヒー移植は、さらに明治17年4月29日の新聞で、明治15年には12キロほどのコーヒーが収穫できたことが記載され、順調に生育していたことが伺えます。

しかし、その後、移植した6種類のうち4種類が枯れ、1種は育っても結実せず、1種は風害に弱いことなどが判明しました。また採算と言う点においてはサトウキビにかなわないこともわかり、当時の小笠原島へのコーヒー移植は失敗に終ってしまいました。

しかし、現在ではコーヒー栽培に取り組んでいる農家も少しずつ増えてきて、少量ながらもコーヒーの収穫に成功しています。

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